パリ五輪オリンピックの卓球女子代表の早田ひな選手が、五輪後の記者会見で「行きたい場所は?」と問われた際に「鹿児島の知覧の特攻資料館へ行きたい。」「今生きていることが、卓球を出来ていることが当たり前ではない、ということを感じるために。」と返答していた。
それから、8月15日終戦の日となり、新たにわたしも「日本」という国について改めて考えてみた。
バックパッカーで世界を旅してから見た「日本」
日本を離れてみたい、と思った理由の一つに「日本が嫌いだから」というものがあった。それについては、他でも書いているので省くが、今生きているこの場所が嫌でたまらなかったというのがある。
しかし、様々な国を巡り、帰国するたびに思うのは、「日本」は良い国だ、ということだ。
人が優しい、食べ物が美味しい、自然が豊か、水が綺麗、町が綺麗、、、など、「当たり前」と思うこんなことが理由だと言えば、皆さんは笑うだろうか。
だが、こんな私達日本人が当たり前だと思い、日々それに感謝することもないことが、日本以外のどの国でも、「当たり前」ではなかったのだ。
どの道を歩くか、何時頃歩くか、どんな服装で歩くか、まずそれを確認してから、外へ出なければならない国なんてザラである。道を歩いていても、終始四方(左右、前後、それから上空)に気をつけて油断してはならいないという国もザラである。まして、タクシーにでも乗ったらそれは、生きるか死ぬかの賭けであることに近い国もザラであった。道路を挟んで向かいのお店に行くのにも、相当な準備をして、気を付けて気をつけて買い物をしなければならない、という場所も多かった。
こういうと、私が危ない場所や特殊な場所にばかり行っていたように思うかもしれないが、決してそうではない。テレビの芸能人や記者たち、企業のサラリーマンや駐在員が行っている「外国」の方が特殊なんである。彼らには、ガイドが付き、ある程度高級なホテルや住まいを与えられ、食べるものも、その土地土地の高級スーパーで買ったりできる環境にある。私からすると、同じ土地にいるとは思えないくらいの環境の違いである。あれでは、現地を知ったなどとは言えないだろう、と思う。もちろん、美しい自然が残る土地にも足を運んだが、そういう場所の食べ物は貧弱で味など構っていられないようなものが多かった。
貧乏バックパッカーのわたしは、文字通りバックパック一つで、最低限の装備で地元の人達と同じ乗り物に乗り、食べ物も現地食を頂いて来た。少しでも実際の暮らしを見たかったから、高級ホテルに泊まることはなかった。そんな環境に身を置くと、最初にあげた日本での「当たり前」が世界では当たり前ではなかったことに気づくのだ。いつしか私は、やっぱり日本に住み続けたい、と思うようになっていった。
”かくまでに 醜き国となりたれば 捧げし人の ただに惜しまる”
しかし、そんな素敵な、私から言わせると奇跡の国のような「日本」が、今どうしてこんなに醜くなっているのか、一体この国はどこに向かっているのか?もう日本は終わってしまうのか?と思うような現状を見るにつけ、それでは、一体日本人とは何者なのか?という根本的な疑問が湧いて来たのだ。
どこから、この歪みが来ているのか、全くわからなかったが、帰国してから手探りで少しづつ、少しづつ調べて行くと、その日本人としての精神の歪みの始まりが「戦後」から始まっていると感じはじめた。決して「戦争」からではない、「戦後」から始まったのである。日本人の戦後は悲惨である。それは魂とも言える教育部分を他国米国に操られているからだ。戦後の自虐教育で、私達戦後世代は、徹底的に骨抜きにされてしまった。自分が今どうして生きているのか、なんのために生きているのか、わからない。個々の利益のことが最優先で他人のこと、国のことなど考えられない。
敢えて言うと、これは、私達のせいではない、そうなるように教育されて来たのだ。しかし、戦後79年が過ぎ、もうこれはおかしいと、熱から冷め自分の足で立ちあがらなければならない時期にもう来ているように思う。
イギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビー
イギリスの歴史学者トインビーの言葉を借りれば、「神話を忘れた民族は100年以内に滅ぶ」という。戦後教育で省かれたものの一つは、まさに「神話」の部分である。自分たちの成り立ちをわからないものが何を信じて生きて行けるのか。この漠然とした、そして根拠のない「自信」が今の私達にはないのである。漠然とした根拠のないものを科学的根拠がないから信じないと言う人は科学で説明できるものの方が少ないという可能性も考えたほうがいい。大切なものこそ、目に見えず、はっきりとした形がないものだ、ということを。
「どうしてわたしは、こんな大切な古事記や日本書紀について知らないのだろう?」とふと思ったことがある。すると、戦前の教育では、きちんと学校で教えていたのである。それが戦後からなくなり、ただたんに、「古事記」「日本書紀」という言葉を覚えるだけの中身のない伝え方に変わっていたのだ。これは誰がそうしたのかは、明白でしょう。私達はいつまで、他者から押し付けられた教育内容に従い続けなければいけないのだろうか。
トインビーの言う100年。戦後から今79年の日本にとってもう21年しかないのである。今教育を改めても、成長した子供たちが大人になる頃には20年かかるのである。はっきり言って今の腐りきった政治家を見るにつけ(というか、政治家のうち、本当の日本人が何割いるのかも疑問である。日本が世界中から「スパイ天国」と言われているのは皆さんもご存知でしょう。)政治に期待していてはいけない。草の根のわたしたち一人ひとりが行動しなければならない。幸い、現代では、個人が発信できるインターネットがある。そいういったものや、心あるかたが出版されている本などを子どもたちに自分自身に教育していかなければならないだろう。
”かくまでに 醜き国となりたれば 捧げし人の ただに惜しまる”
とは、ある戦争未亡人の歌である。大義では国のため、亜細亜のため、そして一番の心の底にあるのは、自分の父、母、兄弟、妻、こどものために戦った人が、今の日本を見てどう思うのか。この戦争未亡人がどんな気持ちで見送ったのか。こんな日本の未来のためだったのか。
開戦の詔書
終戦を知らずフィリピンで終戦後も戦い続けた小野田寛郎氏の話を聴いた時、ハッとした。これか!と思った。
「物事には終わりがあれば、始まりがあり、結果があれば、原因があるのです。」「今の日本人が、開戦の詔書について知らないことはおかしい。」
というようなことをおっしゃっていた。「開戦の詔書」?恥ずかしながら私も一度も聞いたこともまして読んだこともなかった。「耐え難きを耐え、、、」という終戦の玉音放送は、日本人で知っている人は多いことだろう。だが、「開戦の詔書」とは?
この開戦の詔書を読んで、わたしはすべてが腑に落ちたような、今までもやもやしていたものが洗い落とされたような気がした。
詔 書
天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス
朕茲ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ勵精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ逹成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ
抑々東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顯ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳々措カサル所而シテ列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ中華民國政府曩ニ帝國ノ眞意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂シ遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有餘ヲ經タリ幸ニ國民政府更新スルアリ帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提攜スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス剩ヘ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ囘復セシメムトシ隱忍久シキニ彌リタルモ彼ハ毫モ交讓ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ歸シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ
皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス
御 名 御 璽
昭和十六年十二月八日
各国務大臣副書
詔 書(現代訳)
神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。
私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者は務めに励んで職務に身を捧げ、私の国民はおのおのその本分を尽くし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げ、この戦争の目的を達成するために手違いのないようにせよ。
そもそも東アジアの安定を確保し、世界の平和に寄与する事は大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、私が常に心がけている事である。
そして各国との交流を篤(あつ)くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。今や不幸にして、米英両国と争いを開始するに至った。
誠にやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。
中華民国は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態に至らしめ、もう四年以上経過している。
幸いに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する政権(蒋介石)は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、未だに相互のせめぎ合う姿勢を改めない。
米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。
(それだけでなく)与(くみ)する国々を誘い、帝国の周辺において軍備を増強して我が国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与え、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。
私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようと、長い間忍耐してきたが、米英は少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。
このような事態が続けば、東アジアの安定に関して我が帝国の積年の努力はことごとく水の泡となり、帝国の存立もまさに危機に瀕している。
ことここに至っては、帝国は今や自存と自衛のため、決然と立ち上がって一切の障害を破砕する以外にない。
皇祖皇宗の神霊をいただき、私は汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、速やかに禍根をとり除いて東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。
御 名 御 璽(ぎょめいぎょじ=天皇陛下のお名前とその印章のこと)
昭和十六年十二月八日
各国務大臣副書
日本人
コロナが一息ついて、久しぶりに海外へ行って、驚いたことがある。海外へ行けば、色んな国の人に会う機会がある。何も現地の人だけでなく、自分のように、観光に来ている外国人が大勢いるのだ。そうして色んな人と話す機会があるが、会話の始まりでたいてい「どこから来たの?」と聞かれる。「日本だよ。」というと、昔は、ほぼ100%くらいの確率で「いいなぁ。」「いつか行ってみたい!」と言われたものだ。しかし、今回は、「日本から来たよ。」と言っても、どこの国の人でも「ふ〜ん。」「あ、そ。」といった感じで日本に対する昔のような憧れは一つも感じられなかった。
円安が進行している。日本は安い国になってしまった。と思う。日本に来る人は、日本が「安い」と感じて来ている人が大半である。昔は、日本人が東南アジアなどに出かけて物価が安いと感じていたのが、逆に今度は世界から安い国と見られて、軽んじられている雰囲気を私は感じる。近所の京都市内を歩いていると、宿はべらぼうに高くなり、レストランでは必ず予約が必要で、なんと、日本語のメニューと外国語のメニューで値段が違うという店までチラホラ現れ始めた。そのメニューを見て思い出したのは、インド。インドではどこを歩いても「外国人価格」というのがあり、水一つ買うのにも、ひどいところだと10倍くらい値段が違うのである。あの頃は、なんて国だ、、、と思っていたが、今や日本がそれをしているのである。更に、私自身が、「でも、円安だし、日本人は貧乏で外国人はお金持っているんだから、しょうがないか。」と思い始めている。
日本の土地が外国人に買われ、買われた島が全部更地にされ、リゾートホテルが建てられ、そこに古くからあった神社は海の底に沈められた(捨てられた)ことや、とある高校では中国からの留学生が全校生徒の大半をしめ、なんと行事では中国国家が歌われているが、校長は日本人が少ないからしょうがない、と言い、外国人が不法滞在し続け、そこに住む日本人の生活が脅かされている地域が多々あり、、、こういった惨状をあげれば、次から次へと出てきて、一体日本は、政治家は何をしているのか、と怒りと現状への恐怖が襲ってくる。
更には、皇室の問題も日本の喫緊の課題でしょう。GHQは天皇家を残したとはいいつつ、宮家を潰した。この事実を知ったとき、「あぁ、米国は今日の事態がくることを、ゆっくりと待っていたんだな。恐ろしい。」と思った。「そして、日本はまんまと彼らの思惑どおり、自滅しかかっている。」とも思う。
私が生きているあいだに、日本は事実上滅びてしまうのではないか、という不安がある。しかし、この不安を消すために、誰かを批判したり、救世主を待っている余裕は残念ながらなさそうである。だからこそ、草の根で、自分にできることを小さなことをやり始めるしかないのではないか。
オリンピック代表卓球選手が「知覧へ行きたい」と言っただけで大騒ぎになる日本。
おかしい。
歴史を調べれば、私達日本人は胸を張って堂々と生きていいのである。今こそ、どうか、「開戦の詔書」を多くの人に読んでもらいたいと思う。
昔、私に「あなたは、あのおばあちゃんと一緒に育った。それは大きな財産となる。」と言った人がいる。そう言ってくれた人も、私の祖母も、もうなくなってしまったが、今になってやっとその意味がわかる気がする。
祖母は明治生まれの人だった。賢くて凛として強い人だった。そして何より、「日本人」としての精神を持った人だったのだ。わたしは、日本人の精神を持った最後の日本人と過ごすことができたのだ。私はこの目でこの身体で、本物の日本人の精神を持った日本人を見て、体感したのである。私が垣間見た「日本人」はとても美しい精神を持っていた。あの祖母のような人達が居る日本へ、日本を建て直さなければならない。私は怖い。日本が私が見てきた多くの国のようになってしまうことが。怖いが故にこの記事を書く。目を覚まさなければならない。この平和は自分達で維持し、守らなければならないということに気づいてほしい。
冒頭に書いた日本人があたり前と思っている「当たり前」も、この日本という国があるから成しえている「当たり前」であり、日本人が日本という国を護らなければ、この「当たり前」もいとも簡単に壊れて行き、そして、なくなってから、苦しみの生活の中で思うのである、「どうしてこうなってしまったのか。」と。そして、「誰が悪い、あれが悪い、」とまた批判のみが始まるのであろう。
朝起きて、ご飯食べて、働いて、休みの日には旅行へ行って、ネットして、ゲームして、読書して、友達と食事へ行って、勉強して、学校行って、、、、そんな「当たり前」なことが、「当たり前」にできる国はそうそうない。それができるのは「日本」という大きなベースがあるからでしょう。この「日本」という国がなくなれば、このまま廃れて行けば、私達が、あなたが、毎日当たり前にしている生活ができなくなるのだ。私達がまず、することは、歴史を知ることだと思う。他国に操られた歴史教育ではなく、自分たちの祖先がしたことを、一つ一つ確認していく、そういう作業が必要なのだと思う。
「国破れてマッカーサー」西鋭夫:著は、公文書をもとに、実際に何があったのかをアメリカ、日本どちらの側にも立たずに、歴史の事実を語った本です。
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