バックパッカーで様々な国を旅してきたどぼですが、中国へはバックパッカーとしてではなく、短期留学とそれから、普通の旅行で数回訪れたことがあります。
短期留学が一番最初の中国訪問で、なんとその時は、上海で救急車に運ばれ、車椅子で帰国したほど、体調を崩したのを今でも鮮明に覚えています。
あの頃は、市場開放前で、とにかく今の中国からは想像つかないほどに貧しかったです。そして、これは今でも言えますが、衛生面がとても悪かったのです。そんな中、一緒に行った学友も大学の学食を食べて救急車で運ばれたり、、、と、とにかく日本人にはキツイ衛生環境でした。
あれから、十数年、いや、もっと経って、今では、見違えるように変化した中国。都市には、高層ビルが立ち並び、最新技術のオンパレード。全くもって、青天の霹靂というか、ここまで変わるんだなぁ、、、とびっくりしています。
そして、2025年今では中国に住む日本人が危害を加えられる、という事件も度々起こるようになりました。政府の手ぬるい対応はおいておいて、なぜ、ここまで中国人が抗日に今般さらに、なってきたのか。
その大きな理由に、「抗日教育/反日教育」というものが挙げられるます。今や、SNSがあり、オールドメディアでは絶対に放送しない内容も動画で見ることができます。
今年は中国や韓国で反日の映画が放映されています。また、幼稚園のような小さいこどもからの反日教育にもチカラが入っています。教育を受けたこども(しかも幼稚園か小学校低学年ぐらい)が、日本地図に向かって、泣きながら椅子を投げたり、叩いたりして、日本人を全員◯ろしてやる!と叫んでいる動画も話題になりました。
こんな小さいこどもに教えていることが、反日。差別とうものは大抵、親に原因がある、家庭教育にある、といいますが、この場合の親は国ですね。国を上げてこういうことをしている、となると将来が思いやられます。
満州事変とは
満州はわたしにとって、全く別世界のものではないんです。それは、祖父母が満州に住んでいたから、です。祖父母からその時の話をそんなにたくさん、聞いたことはありませんでした。
ただ、祖母が高齢になって、色んなことをすぐ忘れるようになって来てからも、満州のことだけは覚えていたのを思い出します。いつも言っていたのは、「高粱(こうりゃん)を食べていた。」「月餅が美味しかった。」「寒かった。」というようなことです。
昨日のこと、数秒前のことでも覚えていない状態のときでも、「満州はどうだった?」と聞くと、本当に鮮明に頭に浮かぶらしく、いつも淀みなく話してくれました。
私が小さかった頃、「中国で食べた月餅が美味しかった。また食べたい。」というので、「月餅ってどんなもの?」と聞き返すと、色々と説明してくれるんですが、それでも全く想像がつかなかったのを覚えていいます。(※大人になって「月餅」を食べましたが、今売っている月餅は祖母が食べたものと違う、ということだけはわかります。今のは美味しいお菓子、スイーツですが、祖母が語っていたのは、もっと惣菜のようなものでした。)
祖母がなくなってから、日本の体たらくを見るたびに、日本についてもっと勉強しなければ、と思うようになりました。どうして日本人がここまで堕落してしまったのか、不思議だったのです。
それから、色々本を読んだりするようになりましたが、どうも満州事変については、まだモヤがかかっているような状態で、なんとなくしかわかっていなかったのです。
そんな中、読んだ1冊の本で、本当にクリアに満州事変について、理解することができました。
それが、この本「パール博士の日本無罪論」
ラダ・ビノード・パール博士の「日本無罪論」とは、
極東国際軍事裁判(東京裁判)において、日本被告人全員の無罪を主張したパール博士(当時は判事)の意見書の内容を指す通称です。これは、日本の戦争行為そのものを無罪と主張したものではなく、国際法上の手続きや法的根拠の観点から、被告人を裁くことの不当性を主張したものです。
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この著書の中に、「満州事変はなぜ起きたか」という章があります。
ここに、今までモヤモヤとして、はっきりわからなかったことが、書かれてありました。
パール博士の論文が素晴らしいと私が感じる理由の一つに、その客観性と公平性があります。
パール博士は、東京裁判後も、何度か日本に招かれていますが、そのさい、ある日本人が「日本に同情してくださり、ありがとうございます。」というようなことを言った瞬間、目の色が変わり、「わたしは、同情などしていない。法の観点、そしてあらゆる客観的証拠から判断して、裁判したのです。」と毅然として言われたそうです。
これだけの方なので、「満州事変」についても、客観的証拠に基づき、それを法に照らし合わせる形で書かれているので、右や左、官軍、賊軍の色がないのです。
もし満州事変について、いまいちよくわからない、という方はぜひ、パール博士の日本無罪論にある「満州事変はなぜ起きたか」という章を読んでみてください。
それから合わせて、「復刻版:初等科地理」も読まれるとなお一層、状況が掴めます。
これは、大東亜戦争が始まったころの地理を表しています。
これを見ると、日本がどこまでアジア圏に勢力を拡大していっていたかがわかります。また、この拡大はよく問題にあがる「侵略」ではなく、やはり「亜細亜を西洋から守る」ためのものだったとわかります。なぜなら、日本が勢力を拡大していった国々はいずれも数百年数十年とずっと西洋(とくに米・英・欄・露)支配されて搾取され尽くしてきた国々だからです。パール博士も言っておられますが、日本が日露戦争で勝利したときに、西洋支配下にあり、屈辱的支配をうけてきた亜細亜の国々が「わたしたちにもできる!」と勇気をもらったのです。これをきっかけに、独立へと動きだした亜細亜の国、立ち上がった亜細亜の国。日本は間違いなくそのきっかけを作ったのです。

幼い頃に、祖母に「どうして満州へ行ったの?」と聞いたことがあります。今まで親戚や父や、、色んな人に同じ質問をしましたが、腑に落ちる返答はありませんでした。みんな枝葉を述べているような感じで。それが、祖母の返答で一気にクリアになりました。
「おばあちゃん、なんで満州へ行ったん?」
「満州は日本やったから。」
あぁ!そうか!と子供ながらに、ものすごく納得したのを覚えています。そこが日本なら、行ってもいいと思うな、と。
そして、この初等科地理を見ていると、この祖母が言った言葉がまた蘇ってきます。そう、そこは、当時日本だったから祖母たちは行くことができたんです。
他にも、樋口季一郎の本や満鉄に関わる本を数冊読みましたが、満州という場所は当時、特に産業的にも農業的にも大したものはない、更には、盗賊や昔からのどこの国のものかもよくわからない賊が跋扈しているような場所だったようです。
そんな土地を調査し、整備し豊かにしていったのは日本のチカラだったのです。最初からあんなにきれいな建物があったり、鉄道があったりした場所ではなかったどころか、殺伐とした、そして賊がはびこるような場所だったのです。なにか、今、日本人が現地の人に暴力を振るったような論調ですが、わたしは、そういうことはゼロではないにしろ、かなりの確率でもともといた賊が現地の方を襲っていたものも、日本人として扱われていると思えてなりません。
パール博士の日本無罪論を今こそ読むべき「日本の自虐感」について
戦後80年が過ぎ、日本人はそろそろ目覚めるときではないでしょうか。
何から目覚めるのか、とは、自虐思想からです。
これは戦勝国から植え付けられた、洗脳されたものです。
どの国でも愛国心を育てるための教育を行っています。それが、日本がそれをやろうとすると、どうしてやり玉にあげられるのでしょうか。あろうことか、日本人からも。
パール博士の日本無罪論は初版が昭和38年(1963年)9月です。
その頃からもう既に、この本の中にある「同胞に石を投げるな」「民族の劣勢への転換」にあるように日本人の自虐が暴走していたのです。
本が発売されてから2025年今、62年経ちましたが、この本を読んでみると、まったく何も変わっていないことがわかります。今でも同じ状況で、同じ論調があるのです。
それほどまでに、戦勝国のたくみな洗脳が今でも効果を発揮しているのが恐ろしいです。
また、教育とうものがどれだけ大事か、ということもわかります。自虐教育を受けて育ったものが果たして愛国心を持てるでしょうか。日本人に誇りを持てるでしょうか。誇りを持てないものがどうして、自分自身を誇りに思えるでしょうか。誇りがないものが、どうして未来輝く日本を作っていけるでしょうか。
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日本が本当に壊れてしまう前に、日本人は目覚めなければならないと思う。目覚めるとは、、、
日露戦争で日本が西洋列強に亜細亜ではじめて勝利したあの時、他のアジア諸国が「わたしたちでもできる!」と独立へと立ち上がったように、劣等感を捨てて未来に向かって変革を起こすことです。本当に、小さな一歩は、「知る」ということそして、「選挙へ行く」とうことです。



